長谷川家の酒造りの歴史は、美しい自然と神話に彩られた播州林田ではじまった。
長谷川家は、伝来の家系図によれば藤原氏の一族であり、大和の国から林田に移り住んだ。
そして江戸時代、藤原鎌足33代目の子孫、長谷川栄雅が、寛文6年(1666年)、酒屋と材木商を開く。
歴史は、ここにはじまった。
長谷川家の酒造りの歴史は、美しい自然と神話に彩られた播州林田ではじまった。
長谷川家は、伝来の家系図によれば藤原氏の一族であり、大和の国から林田に移り住んだ。
そして江戸時代、藤原鎌足33代目の子孫、長谷川栄雅が、寛文6年(1666年)、酒屋と材木商を開く。
歴史は、ここにはじまった。
長谷川家 家系図
長谷川家において、酒屋をはじめた栄雅は、自分亡き後の長谷川家の興隆を心から祈って、
亡くなる1年前の元禄3年(1690年)正月に以下のような内容の遺言状を子孫に残している。
一、神仏の御恩一日も忘るべからず事。
一、天道の御冥見恐るべき事。
一、御上様御制禁かたく相守り申すべき事。
一、御治政静謐の難有事悦ぶべき事。
一、先祖のご恩を賞め思い出すべき事。
一、家業専一に相働き昼夜油断之無き事。
一、高下を見越し商売は一切間補の事。
一、自身倹約を守り家内和合に致し渡世致すべき事。
一、惣じて家督身代の向 我が物にあらず 先祖より之れ預かり物に候へば不減様に致し
次の相続人に相渡し隠居の時 目出度預り役柄退役と思うべき事 然らば我が役中
増益あるを目出度しと存ずべき候の事。(内容抜粋)
栄雅が亡くなった後、長谷川家は林田の里を中心に商いを展開する、
いわば郷土の造り酒屋として繁栄していった。
栄兼、栄仁、栄寿を経て、嘉永2年(1849年)には、材木業と酒造業を分業。
兄栄忠は材木業を、弟栄郡は酒造業をそれぞれ継いだ。
栄郡の代には醸造高も次第に増加し、日の出の勢いをあらわす「曙( あけぼの)」という酒銘を誕生させている。
神仏に感謝し、先祖を大切にするとともに、商いに真剣に励むようにと願う、
栄雅から子孫へのメッセージ。
これを受け継いだ長谷川家の酒造りは、江戸、明治、大正、昭和、平成と時代を越えて
脈々と受け継がれている。
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